煙草天国

煙草についていろいろな本を読みます

十一夜義三郎   「バット馬鹿の告白」  ゴールデンバット

"ジュウイチヤギサブロウ"と問われて、

"小説家・翻訳家。昭和の初期、川端康成横光利一らと文壇の一角を占める。代表作「唐人お吉」翻訳にはシャーロッテ・ブロンデの「ジェーンエイア」"

と即答できる人はさほど多くはないのではなかろうか。

ましてや十一谷義三郎(明治三十年~昭和十二年)が、自らを「バット馬鹿」と称するほど

の稀代のゴールデンバットの愛煙家であったことなどは、知る人ぞ知る類のことかもし

れない。

 

このエッセイは、中央公論の昭和七年二月号初出とあつて、

 ーーー僕は一日にゴールデンバットを最小限十箱は吸う。十箱と云えば百本だ。一年       

   に三万六千五百本。これから十年生きるとして三十六万五千本!  箱の意匠の金     

   の蝙蝠が七万三千匹!

          僕の一生は花束の代りに金の蝙蝠で蔽われそうだ。

と始まる。

 

しかし、当の本人は一日に最小限十箱と書いているのだが、田中真澄は

 ーーー仏文学者山田珠樹によれば、<五十本の大箱一箱が三日もたないと云うことを                             

    きいていた>そうで、五百本を三日もかけずに消費したわけである。---まさに    

    バット馬鹿、伝説のバットマンと称すにふさわしい。

と「煙草・ユーモラスな残酷」(ユリイカ2003年10月号)の中で、あきれながら称賛して

いる。五百本を三日もかけずになら、一日ざっと百六十本。仮に一日の喫煙時間を十六

時間とすれば、一時間に十本。毎六分ごとに一本消費する勘定になる。

 ーーー僕は、大抵、日に一食だ。二食はバットで補っている。

と本人は云う。まさしく伝説のバットマンだ。

 

もっとも消費量の多寡だけをいえば、"僕の詩はたばこの煙から生まれるんだ"と言った

かの北原白秋には、十二時間で敷島(二十本入り)を十三箱すなわち二百六十本吸ったと

いう証言があるそうで、"煙草のめのめ 空まで煙(けぶ)せ どうせ この世は癪のた

ね"かどうかは別としても、恐らくこの紫烟草舎の主が第一等に違いない。

 

しかし、十一谷義三郎が"伝説のバットマン"と称される所以は、それが単に大量に消費

するからというだけでなく、ある時新聞記者に"そんなに旨いものかなぁ"と問われて

 ーーーいや、旨くもなんともない。太陽のごとく、空気のごとく、無くてはいられな

    いだけだ。あの箱をあけて、あの銀と半透明の包み紙をわけて、蝋の凝った細

    い吸い口と莨をとり出して、唇辺にふくむ。その運動と感触と味覚の全部が、

    僕にはもうこの五、六年来、ひとつの秩序だった生理現象となってしまってる

    のだ。

とにもかくにも、ゴールデンバットがなくてはならないのである。

 

更に、親友であった豊島与四郎の「十一夜義三郎を語る」には

 ーーー遂には、バットの模様の二匹の蝙蝠をつけた原稿用紙を、わざわざ拵えさした 

    ほどだった。

とあって、ただただ火を点けて煙を吹き上げている輩とは別格の、ゴールデンバット

の崇高、濃密、深淵を十一夜義三郎に見ることが出来るというものである。

 

作家と煙草となると、

    開高健ラッキーストライク三島由紀夫筒井康隆は両切りピース。

    横光利一池波正太郎・阿部公房はチェリー。司馬遼太郎はハイライト。

    遠藤周作ゴロワーズ夏目漱石は家では朝日、外では敷島。

などといった通り相場があるのだが、それではゴールデンバットはとなると、

    佐藤春夫芥川龍之介太宰治中原中也

ときて、伝説のバットマン十一夜義三郎は出てこない。

 

ーーーみだりに胸襟を開かず、狷介固陋、体面を保ち、終始矜持をもちつづけた生活

   を、十一夜義三郎君は守り通したのだった。(豊島代志雄)

孤高の「バット馬鹿」。成程そうだったのか。